叔父のはくばくへの想い

 先月3月29日未明、叔父・武久が約5年間の闘病生活の末に亡くなりました。全身の筋力が徐々に、しかし確実に失われていくという難病にかかり、本人にとっても家族にとっても大変な5年間だったと思いますが、最後は苦しまずに静かに旅立っていきました。家族にとっては突然の別れは辛いものだったでしょうが、苦しまなかったと言うのはホッとする面もあったのではないでしょうか。本人と家族が双方とも病気と向き合う覚悟を決めて、ともに乗り越えてきた5年間だったのでしょう。そしてまた苦しみの中からこそ生まれる真の意味での家族の深い尊い絆を残して旅立っていきました。

 
 私が入社したとき、叔父ははくばくの専務取締役・営業担当でした。当時はなかなか厳しい業績と言うこともあって、社長であった父から会議の席上などで厳しい叱責があることもたびたびありました。私も営業担当でしたので、その責任を叔父一人に背負わせているようで心苦しいものがありました。同席していた他の幹部社員もきっと同じ思いだったと思います。父も何とか会社を良くしたいという真剣な思いでしたから、お互いがわかり合えて認めあう、と言うことは残念ながら少なかったように思います。

 
 実は私も一時期、父から何度も同じような指摘を受ける叔父に対して「この叔父は変化しようとしない甘い人ではないのか?」なんて事を不遜にも思っていた時期がありました。しかしあるとき、「自分とは全く違う覚悟を持って仕事をしているんだ!」ということを気付かされることがあったのです。大阪へ一緒に出張することになり、夜の新幹線で二人でビールを飲みながら話をしていたときのことです。叔父は「俺の仕事は社長の経営判断が何であれ、それを絶対に成功に導けるようにすることなんだ。」と淡々と言いました。それが叔父の本心である事がそのときはなぜか直感でわかりました。「ああ、この人はこういう思いで仕事をしているんだ」とこれまでの叔父への見方が如何に浅いものだったかを思い知らされた気がしました。

 
 叔父はとにかくはくばくが大好きだったと思うんです。自分はNO2として、兄の経営判断に従ってはくばくが良くなるために俺は頑張るんだ、という決意を持っていたんだと思います。だからこそ社長に叱られても叱られても争うことはせずに物足りないくらい従順で、営業担当として全国のお得意先に愛されるくらい頑張っていたんだと思っています。もし仮に叔父が父と張り合って派閥を作ったり、陰で非難したりしていたらとんでもなく会社は悪い方向に向かっていたと思っています。そんなことを全く感じさせず、営業に体を張って頑張ることが叔父なりの精一杯のはくばくへの思いの表現だったと思っています。


 告別式の最後の親族代表の挨拶で父が「弟は本当に人の良い人間だった。」としみじみ話すのを聞き、「父もそういう叔父のよさは十分にわかっていたんだなあ。」と思いました。そして兄弟で経営をする、と言うことは本当に難しいものだ、とも私も改めて感じました。これがお互い別の会社に勤めていたら、お互いにもっと楽しい兄弟関係でいられただろうに、と複雑な気がしました。でも叔父ははくばくが大好きだったからこれで良かったんでしょう。病気になってからもはくばくのことは気に懸けてくれていましたし、業績のことも本当に喜んでくれているようでした。こういう人生を懸けて支えてくれてきた人がいるお陰で今もあるこのはくばくと言う会社を私は責任を持ってもっと良い会社にしていくことで叔父に報いていきたいと思っています。冥福を心からお祈りいたします。 合掌。

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プロフィール

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株式会社はくばく
代表取締役社長
長澤重俊

1966年ひのえうま生まれの43歳。
東京大学ラグビー部卒。(本当は経済学部)
住友商事を経て1992年はくばく入社。
気合と体力で全国を駆け回っています。
ヴァンフォーレ甲府の躍進を心から期待しています。