今年の夏・お盆休みには我が家の一大イベント(と勝手に私だけ盛り上がっていた)富士山登山に行ってきました。今年で長男は中学3年生だし、そろそろ家族旅行へも一緒に行かなくなるのかな、と思って以前から温めていた富士山登頂というアイデアを実行に移すことにしたのです。
当然子供たちはこのプランに大反対でしたが、私の堅い決意?にあきらめた様子で、娘二人は翌日の富士急ハイランドを励みに参加しているようでした。結婚前に富士山に一緒に登った際に私のあまりのスパルタぶりに「二度と富士山なんか登らない!」と何度も言っていた妻が叛旗を翻すと私のプランは水の泡・・・でしたが、大人の対応をしてくれて賛成とも反対とも表明せず、でした。しかし前日になると「貴方が言い出したら絶対に行くでしょうから、反対しても仕方ないと思って・・・」というありがたいような、ありがたくないような言葉をいただきました。
朝4時に起きて4時40分家を出発。6時過ぎに富士スバルラインの料金所に到着し、そこからシャトルバス。そして河口湖口五合目に着いたのが7時、いよいよ7時10分に登山開始!となったのでした。
まだこのあたりは余裕の笑顔です。7合目の前あたりかな?一応タイムスケジュールを組んで登りだしたのですが、まだまだ十分それを上回るペースでした。
まだ次女も元気そうです。表情に余裕がありますね。今回は前回の反省を踏まえて、十分過ぎるくらい休憩を取っていきましたから。妻からも「前回はチョコレートも好きに食べさせてもらえなかった」という苦情をもらっていたので、子供たちにもドンドンチョコレートやお菓子を食べさせてあげましたよ。やっぱり子供たち全員と頂上まで行きたいですものね。
しかし六合目辺りから息子は既に高山病に悩まされだしました。頭痛がしてきて、立つとくらくらしたり、吐き気もしたりと典型的な高山病の症状です。でも無言で耐えて、携帯酸素を吸って頑張っていました。でも私も内心、「これは全員での登頂は難しいかな?」と思い始めていました。でも全力を出して、行ける所まで行く、ということで励ましながら登り続けたのです。
約20年前、妻と二人で登ったときはやたらと急いで登って4時間半くらいで登ったのですが、私も苦しかった思い出があります。しかし今回は子供たちのペースに合わせたので、私も妻も山頂まで非常に余裕の登山でした。妻は特に「私は水泳で鍛えているからかしら?」なんて言って、スイスイ登っていました。写真も彼女が全て撮ったものです。
これはまだ7合目辺りの写真かもしれません。とにかく一番厳しくなった8合目から本8合目、さらにそこから山頂までの写真がグッと減っています。この間で子供たちは酸素が薄くなったことで、息苦しくなり娘二人もいよいよ苦しくなったのです。息子は相変わらず高山病と無言で戦っていました。私も子供たちの顔色を見ながら、どこまで頑張るか?という判断を迫られたのです。
一番のピンチは本8合目を過ぎて、下山道から離れて登ることを決めた後でした。息子もいよいよ厳しくなり、娘たちもいよいよ本気で泣き言を言い出しました。正直私は「これまでか・・・」と思い、「下山するか」と言ったのですが、妻が「もうここまで来てしまったら、登山道は危なくて戻れないわよ。もう登るしかないんじゃない。」と言い、子供たちを見ると「うーむ、そうか」という表情をしていたので、私も「よし、何時間かかっても良いから登り切るぞ」と腹をくくったのでした。ここが運命の分かれ道でしたかね。
腹をくくると子供たちも強いものです。それからは文句も言わなくなり、次女とは100歩ずつ歩こう、と決めて一緒に登っていきました。私も「一歩、一歩間違いなく頂上に近づいているぞ!」と励ましながら、登っていきました。
そして登り始めて7時間、14時に山頂に遂に、遂に到着しました。次女も疲れた表情にも達成感が滲んでいます。息子も高山病に耐え続けて登頂成功。妻も長女も元気良く登りきっていました。いやあ、良かった。良かった。予定より1時間遅かったけれどもそんなことは全く問題はありません。
山頂での記念撮影。この写真が撮れて本当に良かったです。登りながらいろいろとトラブルもあったけれども、とにかく全員が頂上に登れたことできっと彼らの心の中にも苦しくてもやりきった思い出として残ってくれることでしょう。
子供たちは400円のコーンポタージュを飲んで、山頂での味を味わっていました。山頂は思いのほか暖かく、気候には恵まれた、と思いました。山頂では30分くらいゆっくり休みました。
娘たちは山頂で自分宛に木の葉書を書いていました。これが自宅に到着するのは3週間後!なんですって。何でそんなにかかるんだろう?と質問しようと思ったけれども、止めました。山頂には経済原則とは違うルールが流れているんです。
下山途中で。
実は下山途中で大失敗をしてしまいました。もう下るだけだあ!と皆でご機嫌になってサーッと下っていたら、フッと「須走口へ」の表示が。「えっ」と思って良く考え見ると、さっき須走口と吉田口の分岐点だったのでは?という悪い予感。登ってくる人に確認すると、「須走口から登ってきたんですよ。」との答え。どうも登ってくる人が増えたなあ、と思っていたんだ。
家族に「道を間違えた!また分岐点まで登るぞ」といったときの皆の落胆振りといったら。私自身もここでまた登らねばならないとは、と自分自身のミスを恨んだのです。しかし登山の厳しさは誰も助けてくれない、ということですね。子供たちも登るしかない、と道を引き返してくれました。こういう経験って後々生きてくるんじゃないかなあ。でもまだ5分くらい登れば戻れるところで気付いたことに感謝です。あと10分くらい下ったところで気付いたとしたら・・・。考えるだけでゾッとします。ああ、良かった。
下りは楽勝!なんて結構楽観していたのが間違いでした。次女が軽い捻挫をして、その足をかばっていたら今度は膝が痛いと言い出して、テーピングの応急処置をしている図です。次女は目に涙を浮かべるし・・。やっぱり子供にとっては下りも大変だったのでした。
前回の記憶と違って、下りが長く、長く感じました。おまけに途中から雨も降り出すし、段々暗くなってくるし。予定では5時くらいには遅くとも帰ってこよう、というつもりだったのですが、これは真っ暗になってしまうのでは、と不安になったりして。しかし子供たちも頑張って歩き続けてくれました。雨もまだ弱かったし、暗さもギリギリ間に合ったし、やはりラッキーだったということでしょう。これでは本当の登山では準備不足で失格でしょうね。
ようやく到着直前の図です。17:50に五合目に到着しました。登り始めて約11時間、ということになります。雨はいよいよ強くなり始め、もう先も良く見えない程暗くなっていました。それでもこうやって全員が山頂まで登って、無事に帰って来れたことに感謝です。
帰ってきてからも富士登山の話は盛り上がります。きっとこれまでで一番苦しい体験だったでしょう。でも息子も泣き言を言わずに登りきったし、娘二人も最後まで粘ってくれました。妻も子供たちを気遣いながらもフォローしてくれたし。皆にとって苦しかったけれども、普通の旅行では味わえない大きな思い出になってくれたと信じています。家族に結束力も一段と強まった気がしています。私にとっても大満足の富士登山でした。

















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